この2週間、京都市内の色々なところに桜詣をしましたが、昨日最も感動した場所に出会いました。
「原谷苑」
金閣寺の裏手の山の頂にあります。
個人の所有地で近年ようやく、紅葉と桜の季節だけ一般公開されるようになったそうです。
ですので最近は随分知られるようになってきましたが、ガイドブックなどにはあまり載らない、知る人ぞ知る場所のようです。

原谷苑と言う場所は、お寺でも公園でもなく、不毛の地であったこの地を個人の所有者が開拓して現在のような場所になったそうです。

桜の植え方がとても変わっています。
京都の桜は、お寺と山などをを借景にした「ミニマリズム」に裏打ちされたようなワビサビの世界でしられており、私もそうした「閑静な美」が好きなのですが、ここの桜の植え方はまるで違いました。
勾配の豊かな広い敷地内に桜が、一見雑然といたるところに埋められているのです。
ところがよく見ると、白い桃の花やつばき、みずきなど、黄色や白など他のカラフルなお花と一緒に咲くようよく計算されています。
調和して咲くというより、一見それぞれがめいいっぱい勝手に咲いているように見えるようなざっくりとした手入れの仕方、これが驚くほど美しい。


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普段私も京都では「禅的な美しさ」に惹かれることが多いのですが、この独特な世界観にすっかりノックダウンされました。
黄色、白、ピンク、様々な花が青い空に向かって健やかに伸びていて、その「お花のジャングル」のような敷地内をひたすら散策するといった感じです。
道も主だったものは決まっているのですが、脇にどんどんと入っていくと小さなベンチがおいてあったりと、非常に自由なコンセプトの楽園です。
人生ではじめて「天国を見た」と思いました。


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平日の朝イチでいきましたので、花盛りなのに比較的空いており、ゴザのしかれた木の小屋でくつろいでいると、もう頭の中まで解けそうなぐらい癒されました。
天国ってこんな感じなんだろうなと、自然にそんな言葉がでてきました。

本当、素敵なところです。
「素敵」と言いますと軽いのですが、地元の文化的なことに詳しい友達が教えてくれたのですが、歴史的には実は複雑ないきさつもあったようです。
桜の木を植えている人にはそれぞれの事情もあったことでしょう、でもそんなことを想いながら見ているとよりその美しさが身にしみました。
自分の人生が大変であっても、後世に何か美しいものを残せているとしたら・・・。
ふとアンティークジュエリーを当時製作していたフランスの職人さんって、どんな人生を送っていたのだろう?と頭をよぎりました。

原谷苑は見ごろが比較的長く続きます。
昨日いってまだ満開を迎えていない桜も多くありましたので、京都市内の桜が見ごろを終えても、仁和寺と原谷苑でセットできても楽しめるかと。
ここの入園料は変わっていて「時価」なんです。
満開に近いほど高くなるという、何だか高級食材みたいな感じです。
でもその甲斐はあります。
関西圏にお住まいの方など、是非私にだまされたと思って(笑)、天国を見に来てくださいね。
ご感想もぜひお聞かせくださいね。



下記は本日アップしました鳩のペンダント。
18世紀に作られたパーツと19世紀に作れたパーツから構成されています、非常にユニークです。
考えましたらお寺もこうした桜の名所も、一度に一つの時代だけで完成されたものばかりじゃないんですよね。
伸びやかなシルエットと、それらがよく見ると可愛いお花で構成されているというところに心惹かれました。
ぱっと一目で絶対に連れて帰ると思った作品です。

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鳥をモチーフにしていますが、具体的に言いますと「鳩」です。

鳩をモチーフにしたアンティークジュエリーと言えば、ノルマンディーのサンエスプリ(Saint Esprit)が有名です。
サンエスプリは、ノルマンディーはとても美しいジュエリーで、サンエスプリ(聖霊)を象徴する鳩から構成されています。
サンエスプリのジュエリーでは一般的に、頭が下部にそして翼は広げられた状態になっていることが多いです。
これは芸術史のなかで、鳩が空から地上へ降りる時、「神の言葉」を伝えるものとして表現されてきたからです。
絵画の中でしばしば、鳩はその口ばしに花のついた枝や葡萄の房をくわえて描かれています。
ピューリタンは、ノルマンディーのサンエスプリのジュエリーは、葡萄の房をくわえていることが多く、それは豊穣を象徴しているというでしょう。